あれから八ヶ月たった。八か月後も相変わらず、こいつの神様発言は収まらない。そしてその間、一歩も梅の木から離れることもない。いい加減家に帰らないと、ご両親も心配しているぞ。



「そーちゃん! 大変なんだよ!」

 あれから進歩も退化もしない毎日が過ぎたある日に、柚井子は唐突に叫んで緊急の事態を知らせた。柚井子にとっての。

 こういう場合は無視するのが一番だ、と思う。実際に無視しようとすると泣き落しにかかってきて、結局こっちが折れるのからよくわからない。柚井子が泣き落しなんて卑怯な手を使ってこなければきっと、絶対、良い手なはずだ。

「なんだ」

 だけど、10回やって10回ダメだった時点で、俺はもう試すのを諦めていたのだった。

「もう4月なのに梅の花がぜんっぜん咲かないんだよ!!」

 柚井子が神様になったと主張する梅の花は、綺麗サッパリ真っ裸。この後花はおろか、蕾だって付ける様子は見られない。

「梅の開花時期は3月だぞ」

 下手したら12月から咲いていたり、4月上旬まで咲いていたりするのもあるが、4月になっても蕾すら付けない梅の花は聞いたことがない。

「だから大変なんだよ!」

「諦めろ」

「嫌だ!」

「あきらめ「やだ!」」

「あき「やだ!」」

「ぁ「やだ!」」

 現実を理解していないのか、それでも諦めたくないのか、どちらにしても、そのわがままはするだけ無駄だ。自然現象に対していくら理屈の通じないわがままを言った所で、そのわがままを聞き入れられる奴なんていないのだから。

「代わりに団子買ってきてやるから、諦めろ」

「いーやーだー! いくらそーちゃんが碧屋の一番高い団子を買ってくれるって言ったって、こればっかりは譲れないんだよ!」

「誰もそんな高いの買うなんて言ってないぞ」

 碧屋の一番高いのと云えば、団子一個に1000円位する奴じゃないか。所詮高校生な俺では、スーパーで安売りしてる団子で精いっぱいだ。

 それにしても、学校で昼食の時に、柚井子の弁当があまりにも美味しそうだったんで、柚井子がジュースを買いに行ってる隙に全部食べた時も、俺のアンパンをあげたら即効で機嫌が治ってたくらいの花より団子なのに、食い物に釣られないなんて珍しい。

「今回はいつもより無駄に頑固だな、柚井子」

「花が咲かないとお花見が出来ないじゃないか」

 ……………………。

「………それだけ?」

「もちろん!」

「桜を見ろよ」

「何言ってるのさそーちゃん。ゆいはここの神様だから、ここから離れられないんだよ?」

「そんなに花見をしたいならその設定を捨てろよ」

「ずっと思ってたけどさ、そーちゃん、信じてないよね」

「あたりまえだのくらっかー」

「そんな使い古されたギャグを交えながら断言しなくてもいいじゃないか!」

 最新のギャグなら良かったのだろうか。

「まあ何にせよ、その設定を捨てられないなら、花見は諦めるんだな」

「嫌だねそーちゃん。それにこの木で花見をするのは、そーちゃんとの約束だよ?」

 そんな約束をした覚えはない。


「あいつのわがままは相も変わらず絶好調だったよ」

 夕方の夕食。

 俺はあいつみたいに電波が入った家出をしていないので、当然のごとく自宅のリビングで、家族揃って食事をとっている。

「……そう、それは、よかったね」

 笑顔がぎこちない。可哀相なものを見ているような眼だ。俺が柚井子の話をすると家族は大抵こんな顔をする。まあ確かに、自分を神様だと信じ込んで、家に帰らないような人間の話が、聞いているだけでなんだか可哀相な気持ちになるのはわからなくもないけど。



 今日は綺麗な桜が咲き乱れる道を通っている。いつもは通らない道だけど、今日は碧屋に寄ったから、少し遠回りしてあそこに行かなければならない。1000円の出費は痛かった。 これで機嫌が直らなかったら買い損になるな、と思いながら歩いていたら、信号が赤になった。歩道を挟んだ向こう側、右側のガードレールが半端なく歪んでいた。どうやったらああなるんだよ。

 まあ、考えられる要因なんて交通事故か、それくらいしか思いつかないけど。でも、結構近所のはずなのに、事故があったなんて聞いたことがない。家が近くても、知らないこともあるんだな。

 そんなことを考えてる間に、信号は青になった。



 ああ、そういえば、一年くらい前に、事故があったっけ。トラックで。信号、青なのに、人が、轢かれたんだ。頭が痛かったのを、覚えてる。

 何で痛かったのかは、覚えてないけど。



 公園に着いた。やっぱり梅の花は咲いていなかった。

「柚井子。団子やるから機嫌直せ」

 そして柚井子は、木の根元に体育座りをして不機嫌真っ最中だった。こんなに気持ちが持続する柚井子なんて初めて見た。いつも寝れば大抵の事を忘れて、機嫌も治るのに。

「いらない」

「わがまま言うな。1000円もしたんだぞ、これ」

「お団子はお花がないと意味ないんだよ」

 こいつ、さっきから人が下手に出てやってんのに……!

「だって、だって花がなきゃ意味ないんだよ! この梅の花で、今年も一緒にお花見するって! そーちゃんと約束したんだから!」

 いつもより真剣に、切実に、柚井子は叫ぶ。

「だからって別にここじゃなくたって……」

「ダメなんだよ!」

「別に信じてくれなくたっていいけど、良いけど、でも、ここじゃなきゃダメなんだよ! この梅の木の花じゃなきゃ!」

「だってもう、ゆいはどこにも行けないんだから」

 何、言ってんだこいつ。どこにも行けないんじゃなくて、どこにも行かないだけじゃないか。



 ああでも、そういえば、足がつぶれてたっけ。

 何で潰れたのかは、やっぱり覚えていなかった。



「ともかく、そっから動きたくないのか」

「ちょっと違うけど、うん」

「そっから見れるなら梅じゃなくてもいいのか」

「見れるならね」

 それならばいい案を、今思いついた。満足するかは分からないけど、物は試しだ。



「これでどうだ」

「そーちゃん、自然に優しくないね」

 相変わらずわがままな奴だ。

 俺が手に持っていたのは、無理やりへし折った桜の枝だった。梅はないけど、桜ならそこら辺に嫌でも咲いてる。なんせ今が時期だし。梅じゃないけど、桜も似たようなものだろう。

「でも、これで今年もお花見が出来るね。そーちゃんはゆいに優しいね」

 その一言で、俺と柚井子だけの楽しい花見タイムは始まって、一瞬で、終わった。せっかく買ってきた団子は、一口も手をつけられていなかった。

 仕方ない、柚井子は初めから、この梅の木の下には、いなかったのだから。



 最後に見た柚井子は真っ赤だった。

 何で真っ赤だったのかは、今、思い出したところだ。







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